30度を超える暑さの中、宇都宮駅から歩いて3分の所にある
明治時代の豪商の旧篠原家住宅を 友達4人で見学してきた。
高層ビルが立ち並ぶ駅前の一角に 昔の建物が1軒ポツンと建っていた。
住宅に入ったとたん、外の暑さを忘れてしまう程、涼しい〜 クーラーはいらないネ。(笑)
大谷石を用いた外壁のせいなのかと思った。
古き良き時代の日本、そして篠原家の日常などを想像しながら ゆっくりと見てまわった。
パンフレットより
宇都宮を代表する旧家の一つである篠原家は、江戸時代から
奥州街道口の現在の場所で 醤油製造業や肥料商を営んでおりました。
現在の旧篠原家住宅は明治28年に建てられたものです。
第2次世界大戦の戦災により、主屋と石蔵を残して、他の建物は消失してしまいました。
明治時代の豪商の姿を今日に伝える貴重な建造物となっています。
黒漆喰や親意思を用いた外壁や、商ヶを特徴付ける店先の格子などとともに、
1階、2階合わせて100坪といういう大きさが、堂々たる風格を形作り、
JR宇都宮駅前の歴史的シンボルとなっています。
外から見た篠原家 戦災前の篠原家の模型
帳場
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階段箪笥 蓄音機と鏡台
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2階
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2階
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石蔵
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昔の台所道具
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太い梁
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旧篠原家住宅は、市内に残る数少ない店蔵(みせぐら・店舗と住宅部分が一体化したもの)
建物である。宇都宮市は、江戸から明治時代にかけて商業都市として、重要な役割を
担ってきたが、その後の社会生活の変化や、戊辰・第二次世界大戦の二度の戦火などで、
貫重な店蔵が多く失われている。
旧篠原家住宅は、奥州街道の宇都官城下の出入口に当たる重要な位置にあるのみでなく、
現在においてはJR宇都宮駅の至近距離にあるすばらしい立地条件に恵まれている。
篠原家は、江戸時代までは肥料商、明治から戦中までは醤油醸造を営んでいたが、
醸造蔵の方は第二次世界大戦の空襲で燃え、戦後は貸し倉庫業を営んでいた。
このように規模の大きな家は、普通大規模な改造を施してしまっているのであるが、
篠原家は極力改造を少なくしており、建築当初の様式を良く残している。
なお旧篠原家住宅は、平成7年11月に宇都宮市の指定文化財(建造物,四棟)に指定され、
平成8年2月に宇都宮市に寄贈されたものである。
旧篠原家住宅の母屋は大谷石と黒漆喰(くろしっくい・墨が練り込んである漆喰壁)を
効果的に用いており、明治28年に2年の歳月と当時のお金で約3万円を費やして
完成した建物である。
2階は約48坪で、装飾性は少ないが良い材料を贅沢に用いており、
造り自体は大変に豪華である。
壁は外壁が黒漆喰、内壁が鼠漆喰(ねずしっくい・黒漆喰いよりは墨の量が少ない)で、
芭蕉布(ばしょうふ・植物の芭蕉の繊維で織り上げた布)を用いた襖や漆塗りの障子など
内部も外壁に劣らず豪華である。正面の格子戸の中が土間(店)と帳場であり、
帳場の奥に1尺5寸角の欅の大黒柱がある。
この大黒柱は2階大広間(20畳)の床柱を兼ねており、さらに棟木まで延びている建築的に
大変珍しいものである。階段は3カ所あり、そのうち2カ所は階段箪笥となっている。
部屋は1階に6部屋、2階は5部屋あり、建築当初は離れで台所・風呂・便所等があった。
なお、昭和42年ごろに西側の白沢街道の拡張により約7m程家曳きをしたため、
庭が半分以下になってしまっている。
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